2024.12.02
変化を恐れず、絆を紡ぐ – フランス出身外国法事務弁護士が見つめた日本企業法務の30年
ジャン=ドゥニ マルクス外国法事務弁護士は、偶然の出会いから始まった日本での法律家としての人生を30年以上にわたって歩んできました。大手外資系事務所の東京オフィスで長年のキャリアを積んだ後、2024年2月、東京国際法律事務所(以下、TKI)に新たな活躍の場を見出したマルクス外国法事務弁護士。めまぐるしく変わる企業法務の世界で、どのように道を切り開いてきたのでしょうか。
時代と顧客のニーズに合わせて、欧州・米国企業の日本でのビジネスをサポート
日本でのキャリアをスタートされた経緯をお聞かせください。
私はもともと弁護士ではなく、日本のメーカーで働いていました。同社でフランスのメーカーを買収する案件に関わり、購買部から国際部へ異動したのです。そのときに関わったフランスの弁護士に「弁護士になったほうがいい」とアドバイスをいただいたのが、弁護士という仕事に興味をもったきっかけでした。
会社を辞めてフランスに戻った際、その弁護士に声をかけて、事務所で働きながらフランスの弁護士資格を取得。5年ほど働いた後、同僚が見つけてくれた大手外資系事務所の東京オフィスの求人に応募しました。私のキャリアの大部分は、偶然の出来事によって決まってきたように思います。
そして、1994年に前職の大手外資系事務所に入所されました。そこでは、どのような案件に携わられていましたか。
フランス企業の日本の子会社の仕事からスタートし、時代やクライアントのニーズに合わせて、欧州および米国企業の日本におけるビジネス全般に関わりました。
私が日本に戻ってきた1994年は、ちょうどバブル崩壊直後。その頃から労働法の分野が急速に発展し始めました。バブル崩壊前は、日本経済が絶頂期にあったので、仕事を辞めてもすぐに次が見つかる時代でした。しかし90年代に入ると、退職が個人に与える影響が非常に大きくなりました。かつては「肩たたき」という言葉がありましたが、そういった方法は通用しなくなり、労働紛争が急増しました。
さらに、メンタルヘルスの問題も顕在化してきました。90年代初めはほとんど話題にもなりませんでしたが、「心の風邪」という言葉が生まれ、職場でのメンタルヘルス問題に対応する必要が出てきたのです。
会社法も大きく変わりました。M&Aなど、それまで日本では一般的でなかった手法が次々と導入され、それに対応したアドバイスが求められるようになりました。
創造的な思考と多角的な視点を持って、前例のない案件に取り組む
そうした激動の時代にキャリアを歩まれてきたなかで、特に印象に残っている案件はありますか?
なかでも印象深いのは、暗号資産取引所マウントゴックスに関連する案件ですね。私が関わっていた頃、マウントゴックスは世界のビットコイン取引の8割近くを扱う最大手でした。最終的には大規模なハッキングを受けて経営破綻しますが、当時としては毎日のようにまったく新しい法的問題が発生し、法律家としてはとても刺激的な経験でした。
既存の法律や判例をそのまま適用できず、一から考え方を構築していく必要がありました。しかも、事業が全世界に渡っていたため、さまざまな国の法制度を考慮しながら対応を考えなければならなかったのです。おそらく私が金融庁に「ビットコイン」という言葉を最初に持ち込んだ一人だと思います。当時は暗号資産に関する規制がほとんどなく、どのように取り扱うべきか、行政とも一緒に考えていく必要がありました。
そのような前例のない案件にどのように対処されたのでしょうか。
基本的にはステップ・バイ・ステップで進むしかありません。さまざまな専門家の意見を聞き、行政の動向を注視しながら、一つずつ問題を解決していきました。
通常の案件であれば、既存の法律やガイドライン、判例を参考にできます。しかし、暗号資産のようなまったく新しい分野では、そういった前例がありません。だからこそ、創造的な思考と、多角的な視点が求められたのです。
この経験は、法律家として非常に貴重なものでした。急速に変化する技術や社会に法制度が追いつかない場面は、今後も増えていくでしょう。そういった状況下で、いかに適切な法的助言を提供できるか。それが現代の法律家に求められる重要な能力の一つだと考えています。
外部弁護士の役割が変化するなか、長期的な関係を構築することを大切にしてきた
30年のあいだに、企業法務の役割はどのように変化してきたとお感じですか。
最も顕著な変化は、専門性の高度化でしょう。法律自体がテクニカルで複雑になってきて、一人の弁護士があらゆる分野に対応することは困難になりました。会社法、労働法、知的財産法など、専門分野がどんどん細分化されています。
また、コンプライアンスの重要性が格段に増しました。30年前はほとんど話題にもならなかったのですが、今では法務部の中心的な役割になっています。大企業では法務部門とは別にコンプライアンス専門の部署を置くところも出てきました。
こうした変化に伴い、企業が外部の弁護士に依頼する内容も変わってきています。企業によって内部で処理することと外部に依頼することの線引きが異なるため、高度に専門的な案件や戦略的に重要な問題を外部に依頼する場合もあれば、コアビジネスにかかわるセンシティブな案件は内部で処理し、そうでない案件を外部に依頼するという企業もあります。
昔は日本企業の法務部には有資格者はほとんどいませんでしたが、今は状況が大きく変わっています。法務部の方々の専門性がどんどん高くなり、法律のことをよく理解している人が増えています。これには良い面と難しい面があります。良い面は、依頼内容がすでに外部弁護士にもわかるよう”翻訳”された形で来るようになったことです。一方で、昔はもっと幅広い内容が依頼されていたのに、今は「これしかない」というような形で来ることもあります。つまり、外部弁護士に求められる役割が狭まってきているということです。
そのような環境の変化のなかで、マルクス外国法事務弁護士としてはどのように対応されてきたのでしょうか?
この状況に対応するために、私たち弁護士や法律事務所としては、さまざまな業種・規模のクライアントの案件に対応することで幅広い経験を積み、多様なニーズに応えられる体制を維持する必要があります。
私自身は、専門性を極めるよりも、幅広く多様な法務サービスを提供することで、クライアントとの長期的な関係を構築することを大切にしてきました。ただ、クライアントの専門性も高まるなか、こうしたアプローチは簡単なことではありません。各分野のエキスパートと協力することで、クライアントに対して幅広くかつ深い専門知識に基づいたソリューションを提供したいと考えています。
クライアントとの信頼関係を築くうえで、特に意識されていることはありますか?
正直、これといった秘訣はありませんし、正解はないと思います。そのクライアントが何を好むのか、どのような付き合い方がよいのか、自分の感覚でしか判断できない部分も多くあります。一人ひとりのクライアントに満足してもらえるよう、自分なりのやり方で誠意を持ってクライアントと向き合うしかありません。弁護士それぞれの性格に合わせたアプローチが必要だと思っています。もちろん、失敗することもありますが、そのリスクを最小限に抑えるために、できるだけたくさんのクライアントとの関係性を保つようにしています。
ポジティブかつ透明性の高いTKIのカルチャー
そして、2024年2月にTKIに参画されました。その理由をお聞かせください。
TKIの戦略が非常にクリアだったことが大きな理由です。代表の森弁護士と山田弁護士の説明がとても明確で、事務所として何を目指しているのか、どういう戦略を考えているのかがよく伝わってきました。こうした法律事務所は、日本国内では非常にめずらしいように思います。
特に共感したのは、真の意味での日本発のインターナショナルファームを目指すという事務所のビジョンです。できるだけ多くの海外弁護士を事務所内に迎え入れ、海外の案件を日本国内で対応する。同時に、海外クライアントの日本における案件も扱う。こうした戦略は、私のこれまでの経験と非常にマッチしていました。
TKIの文化について、どのような印象をお持ちですか。
TKIの特徴は、ポジティブさと透明性にあります。すべてをポジティブに捉え、メンバーを評価する文化が根付いています。日常的なコミュニケーションのなかでも、「よかったね」「がんばってください」といったポジティブな会話が飛び交っています。
これは当たり前のようで、実は非常に難しいことです。人間の組織である以上、誤解や悩み、さまざまな感情が生まれます。それにもかかわらず、皆が同じ方向を向いて協力的に働ける雰囲気を作り出すのは簡単ではありません。
そこで大切なのが、透明性です。情報を隠すとネガティブな噂話が生まれやすくなりますが、TKIは透明性を保つことでそれを抑えつつ、協力的な雰囲気が醸成されています。今後、事務所が成長していくなかでは、この文化をいかに維持していくかが鍵になるでしょう。
グローバルな視点と日本への深い理解を併せ持つ法律事務所へ
TKIでの今後の抱負をお聞かせください。
主に二つあります。一つは、若手弁護士の育成です。TKIには大手事務所出身のパートナーから、若手弁護士まで、さまざまなバックグラウンドの弁護士が在籍しています。TKIのポジティブなアプローチを見習いながら、自身の経験を活かして若手の育成に取り組んでいきたいですね。
もう一つは、新規クライアントの開拓です。現在のクライアントの多くは前職から引き継いだものですが、TKIの将来のためにも新しいクライアントを獲得していく必要があります。私のこれまでのキャリアを活かして、特にインバウンドの案件に注力していきたいと考えています。
最後に、日本の法務環境の将来についてどのようにお考えですか?
かつての日本は多くの分野で最先端を走っていましたが、この20-30年間は変化のスピードが遅くなっています。他の国々が次々と改革を進めるなか、日本だけが取り残されているような印象を受けます。
たとえば、同性婚の問題一つとっても、世界の国々が法制化を進めるなか、日本はまだ踏み出せていません。私は、個人的な活動として、平等かつインクルーシブな社会の実現を目指してLGBTの法的支援を行う「LGBTとアライのための法律家ネットワーク」(通称LLAN)に参画しています。たとえば、同性婚に関する裁判の判決文を英訳し、海外に広める活動などを行ってきました。個人的には、世田谷区のパートナーシップ制度の立ち上げにも関わりました。報道機関による世論調査では日本の国民の多くが同性婚に賛成していますし、多くの自治体がパートナーシップ制度を導入しています。にもかかわらず、国レベルでの動きは鈍いのが残念です。
法務の世界も同様で、海外の先進的な取り組みを積極的に取り入れ、日本の実情に合わせて適用していく必要があります。そのためには、国際的な視野を持ちつつ、日本の伝統や文化も尊重できる法律家が求められるでしょう。
TKIは、まさにそうしたグローバルな視点と日本への深い理解を併せ持つ法律事務所を目指しています。私自身も、フランス人として日本で30年以上のキャリアを積んだ経験を活かし、この目標の実現に貢献していきたいと考えています。
(取材・文:周藤 瞳美、写真:岩田 伸久)